子どものころ、教室のなかにいわゆる“一群”の子たちがいました。 人気があって、自然と周りに人が集まる子たち。
私は、その輪に入りたかった。
でも、同じ場所に座っていても、気づくと自分だけ会話に入れていない。嫌われているわけじゃない。ただ、話しかけられるのを待っているうちに、そこにいるのに、いないみたいになる。
輪のなかにいるのに自分だけが少し遠い。 私は、あの感じを、ずっと持ったまま大人になりました。
人づきあいが苦手というより、“自然に混ざれない”だけ
大人になってからも、似たような場面はありました。
話せないわけじゃないのです。 むしろ本当はおしゃべりなほうだと思います。
でも外では、あとから輪に入るタイミングが分からない。気づくと、もう会話が出来上がってしまっている。 3人くらいまでなら自然にいられるど、人数が増えると、自分の存在が少しずつ後ろに下がっていってしまいます。
職場では、こういうことをあまり感じませんでした。 仕事という役割があるからか、“自分そのもの”でいなくてよかったからだと思います。
「1人のほうが楽」は、本気でそう思っていた
若いころは、本気で1人が好きでした。
買い物も自分のペースで回れるし、疲れたら帰れる。 、1人で過ごす時間も普通に楽しかった。
家族がいて、日々の生活に追われている中で、 「孤独」という言葉を深く考える時間はなかった。
1人でいることに不安や、さみしさを感じることも、ありませんでした。
まだ誰とも、会話をしていないまま夜になる
でも最近、少し感覚が変わってきました。
仕事をやめたり、子どもが独立したりして、社会とのつながりが前より弱くなりました。 すると急に、老後という言葉が近くなった。 「この先、誰とも話さない日」がくるのではないか、そう考えることがあります。
毎日誰かとずっと一緒にいたいわけじゃない。むしろ毎日だと息が詰まる。
ただ、今日あったことを、何でもなく話せる相手がいる人を見ると、いいなと思うのです。
本音を出せない自分がいるということ
夜、パソコンに向かってブログを書いている時、急に孤独を感じることがあります。
誰かに読んでほしくて書いているけれど、まだ何も結果は出ていない。 このまま、誰にも届かないまま終わるのかな、と思う日もあります。
楽しいことがあった時も、嫌なことがあった時も、 「これ聞いて」 と送る相手が思い浮かばない。 気づくと、今日あったことを、誰にも話していない日があるのです。
悩み相談がしたいわけじゃありません。 テレビを見た感想とか、今日食べたものの話とか。そんな、どうでもいい話をいつまでも続けられて、沈黙があっても気まずくならない相手。 私はたぶん、そういう関係にずっと憧れていました。
結局私は、 “話せる相手がいない”というより、 “本音を出せない自分がいる”ことに 寂しさを感じているのかもしれない。
私はまだ、誰かとつながりたい
友達って年齢だけじゃないと思うようになりました。
若い人でも、年上の人でも、話していると少し前向きになれる人。この人の考え方が好きだな、 何でもない話をしているのに、また会いたくなる人。
50代になっても、私はまだ、成長したい気持ちがどこかに残っています。 だから、ただ寂しさを埋めるためじゃなく、ちゃんと「会いたい」と思える人とつながってみたい。
一人が好き。でも、それだけじゃなかった

今でも、1人の時間は嫌いじゃないし、気楽です。 でも、「1人が好き」と「孤独を感じない」は、同じじゃありませんでした。
50代になると、この先の時間を考えるようになります。 その時になって初めて、自分は人とのつながりを、思っていたより求めていたのかもしれないと思いました。
目立ちたいわけじゃない。自分をうまく出せないから、自分から少し離れてしまっているだけなのかもしれない。
友達がいないまま50代になったから、今さら人間関係なんて簡単には変わらない気もしています。
それでも時々、思うのです。
誰か、私と友達になってくれませんかと。


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