子どもの頃、「やればできる子」と言われたことのある人は多いと思う。
理解するのは早い方だった。
一回見れば覚えられたし、勉強で困ったこともなかった。
だから、努力する必要性がなかった。
嫌なことは避け、面倒なことは後回しにしても、特に支障がなかった。
「本気を出していないだけ」
そう言い訳するうちに、努力の仕方が分からないまま大人になってしまった。
気づけば、私はうさぎと亀の“うさぎ”になっていた。
昔のようにはいかない自分
昔は、一回見れば覚えられていたのに、理解するのも、覚えるのにも時間がかかる。
この年になると、間違って理解していても、誰も指摘してくれなくなる。
言いづらいんだろうね。
若い頃なら「知らなかった」で済んだことも、今では、ただの無知な人になってしまう。
年齢で決められることの違和感
「50代の割によく知っていますね」
そう言われることがある。
褒め言葉のつもりなんだろうけど、「50代なら普通は知らない」、私にはこう聞こえる。
「年齢の割に若いですね」も、中身を見る前に「50代はこういうもの」って決められている感じが苦手だ。
そんな、悪気の無い、無意識の「誉め言葉」にモヤモヤすることがある。
今さらだけど、見返したい
枠にはめられるのも、能力が落ちてきている自分も、今はまだ認められない。
周りの目も、過去の自分も、全部まとめて見返したい。 今さらだけど、必死になっている。
会社員では届かなかったものを、自分の力でつかめたら、少しは上書きできる気がする。
ずっと残っていた、無意識のコンプレックスに気づいてしまったから。
「何もないまま年を取った」で終わりたくない。

泥臭くてもいい。
今からでも、自分で積み上げたと言えるものが欲しい。
ただ、最近は、頑張りすぎて、ある日突然力が尽きてしまわないように、無理して一気に進むより、長く続けられることも考えている。
最近は、体力より先に、「残された時間」に焦るようになった。
50代の焦りって、若い頃の焦りとは少し違う。


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