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能力が落ちてきた自分を、まだ認めたくない

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薄暗い部屋で、ノートパソコンの画面だけが明るく光っている、キーボードを叩く手元のクローズアップの写真

子どもの頃、「やればできる子」と言われたことのある人は多いと思う。

理解するのは早い方だった。
一回見れば覚えられたし、勉強で困ったこともなかった。

だから、努力する必要性がなかった。

嫌なことは避け、面倒なことは後回しにしても、特に支障がなかった。

「本気を出していないだけ」

そう言い訳するうちに、努力の仕方が分からないまま大人になってしまった

気づけば、私はうさぎと亀の“うさぎ”になっていた。

目次

昔のようにはいかない自分

昔は、一回見れば覚えられていたのに、理解するのも、覚えるのにも時間がかかる。

この年になると、間違って理解していても、誰も指摘してくれなくなる。

言いづらいんだろうね。

若い頃なら「知らなかった」で済んだことも、今では、ただの無知な人になってしまう。

年齢で決められることの違和感

「50代の割によく知っていますね」

そう言われることがある。

褒め言葉のつもりなんだろうけど、「50代なら普通は知らない」、私にはこう聞こえる。

年齢の割に若いですね」も、中身を見る前に「50代はこういうもの」って決められている感じが苦手だ。

そんな、悪気の無い、無意識の「誉め言葉」にモヤモヤすることがある。

今さらだけど、見返したい

枠にはめられるのも、能力が落ちてきている自分も、今はまだ認められない。
周りの目も、過去の自分も、全部まとめて見返したい。 今さらだけど、必死になっている。

会社員では届かなかったものを、自分の力でつかめたら、少しは上書きできる気がする。
ずっと残っていた、無意識のコンプレックスに気づいてしまったから。

「何もないまま年を取った」で終わりたくない。

夜明けの地平線へと向かう、まっすぐな長い道の写真。


泥臭くてもいい。
今からでも、自分で積み上げたと言えるものが欲しい。

ただ、最近は、頑張りすぎて、ある日突然力が尽きてしまわないように、無理して一気に進むより、長く続けられることも考えている。

最近は、体力より先に、「残された時間」に焦るようになった。

50代の焦りって、若い頃の焦りとは少し違う。

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