若い頃は、一人でいることを少し寂しく感じていました。 誰かと予定がある方が安心できたし、誘われればできるだけ応じていました。
でも50代になった今は、少し考え方が変わりました。
誰にも気を使わず、自分のためだけに時間を使えること。 それは寂しさではなく、とても贅沢な自由だったのだと感じています。
50代になって変わった、人との距離感
土曜日の夕暮れ時。家事が一段落し、ようやく一息つこうとした時、スマートフォンが鳴りました。 昔の友人たちの集まりのお誘いです。
20代なら迷わず参加。 30代は義務感で顔を出し、 最近は断る理由を必死に探しています。
今の私には、その場所に持っていくための「エネルギー」が残っていないのです。
会えば楽しいし、誘ってもらえないと寂しいのに、誘われると面倒くさい。
忙しく動き回っているときは感じなかった疲れに、時間ができたことで気づいてしまう。
誰かと笑い合い、空気を読み、言葉を選び続ける時間。 それは決して嫌な時間ではありません。
でも今の私には、自宅で一人、ぬるめのお湯にゆっくり浸かる時間の方が必要でした。
「せっかく誘ってくれたのに」 「ここで断ったら次は呼ばれないかも」 そんな思考が頭をよぎるけれど、「社交的な自分」を演じ続けるには、50代の私には少し負担が大きくなったのかもしれません。

自分だけの時間
誘いを断って生まれた時間を、自分自身を労わるために使っています。
誘われれば出かけ、休日には予定を詰め込み、人との繋がりを増やしていく毎日を当たり前のように過ごしていました。
でも、年齢を重ねる中で、大切にしたいものの優先順位が少しずつ変わってきました。
限られた時間をどう使うかより、限られた気力をどこに使うかを考えるようになりました。
最近は、自分が心地よく過ごせる時間を、少しだけ意識して作るようにしています。 そのひとつがお気に入りのお茶をゆっくり楽しむことです。
普段より少しだけ上質な茶葉や、気になっていたハーブティーをお取り寄せしてみる。 お気に入りの紅茶を淹れて、ゆっくり湯気を眺める。
普段は時間に追われるように過ごしている分、立ち上る香りに包まれながら、そんな何でもない時間も大切にしたいと思うようになりました。
かつては「予定がないこと」に不安を感じたこともありました。 けれど今は、何もない空白こそが、明日を心地よく過ごすための大切な時間なのだと思うようになりました。

繋がりを整理し、自分だけの時間を持つこと。 それは、いつも周りに向けていた意識を、少しだけ自分自身にも向けることから始まるのだと感じています。
孤独は、誰かの輪から外れてしまうことではありません。 人に合わせ続けてきた自分を、もう一度いたわるための時間です。
私たちは、人生の「持ち時間」を誰に差し出すのか
私たちの毎日は、目に見えない責任で埋め尽くされています。 職場の人間関係、親の体調、あるいは家庭内の些細な揉め事。
外では「聞き上手な私」を演じ、家では「頼れる誰か」であり続ける。 そうやって、あちこちに自分の時間と気を配り続けてきました。
「繋がりを大切にすること」は素晴らしいけれど、そのために自分をすり減らしてしまっては、元も子もありません。
今は、すり減った自分を整えるための、空白の時間も大切だと思います。
無理に輪の中にいなくてもいい。 誰かの期待に応えられなくても、私の価値は何も変わりません。
一人で過ごすという自由
誰にも合わせなくていい時間。
ゆっくり自分をいたわったり、好きなことに没頭したり。
誰かの機嫌を気にすることもなく、何かを期待されることもない。
そんな時間があるだけで、気持ちに余裕が生まれます。
若い頃は、人との繋がりがあることに安心していた時期もありました。
人との繋がりを求めてきたからこそ、 今は自分のためだけに使う時間の価値が分かるようになりました。
無理に繋がらなくていい。
孤独は、最高に贅沢な自由だったのです。

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