あと数年で、親が体調を崩した年齢になる
最近、よく考えることがあります。 「あと数年で、私は親が体調を崩した年齢になるんだな」ということ。
定年を迎えたら、あれがしたい、ここへ行きたいと楽しみに話していた親の姿を覚えています。 でも現実は思い通りにはいきませんでした。体調を崩し、自由に動ける範囲が少しずつ狭くなっていきました。
自分がその年齢に近づいてきている。 まだそんな歳になった実感なんてないし、認めたくもないけれど、時間は確実に進んでいきます。
世間は「50代からの輝き方」とか「老後の不安」だとか、分かりやすい言葉でまとめようとします。 でも、私が抱えているものは、そんな大雑把な枠にきれいには収まらない。
若く見られたいとか、まだ終わっていないと強がりたいわけでもない。 悲壮感に暮れているわけでも、お金の不安だけで頭がいっぱいなわけでもない。 けれど、このままでいいとも思えない。何とも言えない、言葉にならない違和感の正体は何だろうと、ずっと考えています。
時間は待ってくれない

若い頃は、「いつか時間ができたら」「いつか余裕が生まれたら」と、やりたいことを先延ばしにしてきました。 でも、親の後ろ姿が教えてくれたのは、そのうち先延ばしができなくなる日が来るかもしれないという現実でした。
焦りのような感覚があるのは、これ以上「今」を後回しにしたくないからでしょうか。
そして最近は、時間だけでなく、お金についても考えるようになりました。
「やりたいことをやる」には、時間だけでなく、やっぱりお金も必要になります。
我慢ばかりの人生にはしたくありません。 一度きりの人生だから、行きたい場所へ行ったり、やってみたいことを諦めたりせずに過ごしたい。
自分のためにお金を使って楽しむことも大切だと思っています。
「お金がないから」という理由で選択肢を狭めるのではなく、 自分の人生を自分で選べる余裕を持ちたい。
だから今、少しでも選択肢を広げるために、新しいことに挑戦しています。
日々の選択は、いつも大きな決断ではない
人生を変えるために、必ずしも大決断は必要ないと思っています。
行きたい店に行ってみる。 気になった服を、自分のために買ってみる。 新しいことを始めてみる。 暮らしが心地よくなるように、家を少し整えてみる。
どれも、人生を左右するような決断ではなく、日々のささやかな選択です。 迷っていたことをやってみる。気になっていた場所へ行ってみる。 結局は、やるかやらないか。それだけのことなのだと思います。
かつて親が体調を崩した年齢に差しかかろうとしています。 時間は待ってくれない。
だから私は、これまで「いつかやろう」と思っていたことを、少しずつやり始めています。
後悔しないためではなく、納得しながら生きるために。

コメント